アマチュア時代の軌跡。 |
1973 /4月
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信天翁結成 メンバーは、北郷、菊地、金子、五十嵐の4人で全員、
福島県立磐城高校の2年生だった。 |
1974 /1月 |
大学受験を理由に信天翁を解散。 |
1977 /4月 |
東京で北郷、菊地、金子の3人が再会。再結成の夢が広がる。 |
1978 /4月 |
遂に再結成。名も信天翁から阿呆鳥に改める。 |
8/8
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地元(いわき市)で定期的なコンサートを開始。
しかし、昔のファンは見当たらず300円のチケットを路上で
売って歩いたものの動員数80名というさびしいスタートだった。 |
10/8 |
第二回目のコンサート。観客数250名に増える。 |
12/24 |
第三回目のコンサート。観客動員数400名。 |
1979/3/17
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第四回目のコンサート。会場を地元で一番大きい平市民会館に移す。
観客動員数800名。徐々に地元で話題になる。 |
5/5
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第五回目のコンサート。観客動員数950名。
ファンクラブ、阿呆鳥ファミリー結成。 |
1979/8/11
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第六回目のコンサート。観客動員数1100名。
公演中、放火事件が起きたが椅子を一個焦がすだけで済み、犯人は逃亡中。
コンサートは非常に盛り上がる。 |
11/4
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前回のコンサートが話題になったので、NHK福島FMリクエストアワー
の公開録音にゲスト出演する。阿呆鳥の名が県内にとどろいた。 |
12/22
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第七回目のコンサート。FMの影響もあってか1800名収容する会館が
超満員にふくれ上がった。 |
1980 1月
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FMリクエストアワーのMOST10で公開録音時に歌った「物語」が一位になる。
その後11週1位を保つ。 |
3月 |
初のテレビ出演(NHK福島の朝のロータリー)
15分間顔が引きつっていた。 |
5月 |
自主制作シングル「物語」を発売。限定4000枚を売り切る。 |
6/1
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第八回目のコンサート。
初めて指定席を設け、アマチュアとして地元で初めてチケットを
プレイガイドで売り切る。 |
7月
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ラジオ福島でDJを開始。番組名「阿呆鳥ほっかほか瓦版」。
毎週土、日、15分間ずつ。 |
8月 |
郡山に進出、初のコンサート開催。 |
11月 |
福島と会津若松でコンサート開催。大盛況。 |
12/21
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地元で九回目のライブ・レコーディングを兼ねたコンサートを開催。
またも超満員。 |
12/27 |
二回目テレビ出演。NHK全国放送の「ヤングサウンド大競演」。 |
1981/3/21
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自主制作LP「阿呆鳥ライブ・翔べ限りない夢へ」を発売。
福島県内を中心に、限定2000枚を売り切る。 |
5月
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'81全国フォーク音楽祭、東北・関東・甲信越地区大会出場。
ニューズレコードにスカウトされる。 |